Disease(疾患)とIllness(病い)をつなぐ ── アレクシオンファーマ 濱村社長が語る希少疾患領域の課題とJMDCへの期待

株式会社JMDC全体会議の特別セッションに、アレクシオンファーマ合同会社 代表の濱村美砂子社長をお迎えしました。「希少疾患領域の課題と当社への期待」をテーマに、製薬企業の立場から見た「Patient Centricity(患者中心主義)」の本質が語られた講演、JMDCのデータやプラットフォームが果たすべき役割を議論したパネルディスカッションの模様をお届けします。

 

「患者中心」とは何か ── 希少疾患の現場から考える

「『Patient Centricity(患者中心主義)』という言葉を、私たちは、本当に理解しているでしょうか」──。濱村様の問いかけから、講演は始まりました。

2025年1月にアレクシオンファーマの社長に就任して1年。それ以前は武田薬品で希少疾患事業部長を務め、シャイアー社の買収以降、希少疾患の患者さんと真摯に向き合い続けてきました。その原体験から見えてきたのが、「Disease(疾患)」と「Illness(病い)」という2つの視点です。

 

治療薬はわずか10% ── ゲノム解析が変えた希少疾患の風景

希少疾患は7,000から1万種類。しかし治療薬が存在するのは、わずか10%弱に過ぎません。

転機は2000年代に訪れました。ヒトゲノムの全解析により、希少疾患の約8割を占める遺伝性疾患の責任遺伝子が特定できるようになり、治療の道筋が一気に開けました。「『どの酵素を補充すればよいのか』『どのタンパク質を変えればよいのか』が明らかになり、治療薬の開発が飛躍的に進みました」。

その勢いは数字にも表れています。世界の希少疾患治療薬市場は2020年代半ばに約2,200億ドル、2030年代には4,000億から6,000億ドル規模に成長するとアナリストは予測しています。2024年にFDAが承認した新薬(New Molecules)45分子のうち、3分の1にあたる15分子が希少疾患の治療薬でした。「希少がんを含まない純粋な希少疾患の割合です。希少疾患の治療薬開発は現在、製薬企業にとって非常にホットなトピックとなっています」。

 

「思い込み」からの脱却 ── 新薬では届かないもの

イノベーションが詰まった新薬を患者さんに届ける。それこそが「Patient Centricity」だ──。濱村様自身、そう信じていたといいます。

その確信を揺るがしたのは、ある患者さんの一言でした。「副作用が少なく効果が高い新薬をお届けしたにもかかわらず、患者さんが『以前の古典的な輸血治療のほうがよかった』とおっしゃったのです」。

輸血のためにベッドで過ごす長い時間。そこで交わす医師や看護師との会話が、その患者さんにとってかけがえのない時間だった。新薬がその接点を奪い、満足度はかえって下がってしまったのです。

「新薬によって『Disease(疾患)』はよくなっても、患者さんの『Illness(病い)』は決して良くなっていなかった。私たちはこの『思い込み』から脱却しなければなりません」。

 

医学的に最適な治療が、最善とは限らない

「Disease(疾患)」とは、医療従事者の目線から見た診断名や検査値、画像データ──客観的・科学的な根拠に基づくものです。診療報酬もこの観点で算定され、データは豊富に蓄積されています。

一方の「Illness(病い)」は、患者さんやご家族が日々感じている不安やつらさ、痛みといった主観的な体験やナラティブ(物語)です。「サイエンスのデータとしてきっちり収まっているものは少なく、理解されにくいのが現状です」。医療人類学の研究者で精神科医のアーサー・クラインマン氏が1988年に提唱したこの概念は、現在でも議論が続いています。

DiseaseとIllnessの両方を繋ぐこと。それなくして真のPatient Centricityは実現できない──。濱村様はご自身の歯の治療を例に、その意味を語りました。「医学的に早く治る方法を勧められましたが、喋りにくくなる期間が続く治療法は、人前で話す仕事に影響するため選べませんでした。患者さんは、医学的な正解とは別に、自分の生活に合った治療を選ぶ必要があるのです」。Illnessの視点は、治療の意思決定そのものに直結しています。

 

「診断ラグ」の可視化 ── 希少疾患白書とJMDCとの協業

DiseaseとIllnessをどう繋ぐのか。濱村様が示したのは明確なビジョンです。患者さん目線のIllnessのデータも同等に評価され「Disease ≒ Illness」となる状態を目指す。その実現にはJMDCのデータとプラットフォームの力が不可欠だと位置づけました。

その協業の第一歩が、2025年5月に刊行された「希少疾患白書」です。JMDCのレセプトデータを用いて「診断ラグ」──初期症状の発現から確定診断に至るまでの時間的な遅れ──を定量化しました。「希少疾患の確定診断までに要する期間は平均3.4年。3人に1人、35%が診断まで5年以上を要しています」。

約6割(59%)が誤診を経験し、中には不必要な開腹手術を受けてしまうケースもある。診断ラグの期間中、患者さんの医療費は約3.4倍、通院日数は約2.2倍に跳ね上がる。白書が明らかにした現実は厳しいものでした。

「これらの定量データには、政府への政策提言やエコシステム改善の根拠となる大きな力があります」。

今後の展望として、JMDCが推進するPHR(パーソナル・ヘルス・レコード)──個人の健康診断結果や日々のバイタルデータなどの健康・医療情報を本人が一元的に管理・活用できる仕組み──のようなIllnessのデータとレセプトデータを一体的に連携させ、医師が同時に確認できる環境を整えることで、最適な医療提供が可能になるとの構想が示されました。

さらに、これらのデータを活用し、厚生労働省が策定する医療DX(デジタルトランスフォーメーション)推進工程表に「診断ラグ解消」を組み込んでもらうための働きかけも進めていく考えです。

 

アレクシオンファーマの取り組み ── 診断ラグの可視化と早期診断に向けて

ビジョンを語るだけではない。濱村様はアレクシオンファーマがすでに動き出している2つの挑戦を示しました。

一つ目は、AIを活用した早期診断をサポートするSaMD(Software as a Medical Device)の導入推進です。社会実装と普及を目指すコンソーシアムを立ち上げ時から支援しており、将来的に「診断ラグ」の解消につなげることを目指しています。

もう一つは、「フォトブック」の制作です。白書がデータで示した実態を、写真と文章で表現する。この2つを掛け合わせることで、「診断ラグ」についての社会全体の理解を広げたいという構想です。

Patient Centricityとは何か。濱村様自身、かつてはその答えを知っていると思っていたといいます。しかし、患者さんとの対話を重ねる中で、医学的な正しさだけでは届かないものがあることに気づかされた。Diseaseを治すだけでなく、Illnessに寄り添う。白書で数字にし、写真集で伝え、AIで支える。濱村様が語ったのは、理想ではなく、すでに動き出している実践でした。その一歩一歩の先に、Patient Centricityの本当の姿がある──。濱村様の言葉は、その確信に満ちていました。

 

データは希少疾患の現場でどう活きるか── パネルディスカッション アレクシオンファーマ濱村様×JMDC

後半のパネルディスカッションでは、濱村様に加え、株式会社JMDC社長の野口亮、製薬本部コンサルティング部兼ビジネスプロデュース部の北川涼もパネリストとして登壇しました。前半の講演で提示された「DiseaseとIllnessを繋ぐ」という問いを受け、JMDCのデータやPHRサービス「Pep Up」が希少疾患の現場で、具体的にどのような役割を果たせるのかなど議論を展開しました。

 

マーケティングを超える ── 政策と医療現場を動かすデータ

北川: まず、JMDCが収集・整備しているデータが、製薬ビジネスの現場でどのように活用されているかを伺えますか。

 

濱村様:新薬のマーケティングなどではどの会社もデータを活用しますが、希少疾患においては、対象となる患者さんがどのような初期症状を経て確定診断に至っているのかを明らかにすること自体が非常に困難です。

JMDC様と協業させていただくことで、初期症状から確定診断に至るまでのデータを可視化することができました。マーケティングを超え、当局への提出資料や、医師・学会との交渉などにおいて、「なくてはならない強力なデータ」となっています。

 

北川: 野口社長、データを提供する側として、希少疾患領域で求められるデータの質や粒度についてはいかがでしょうか。

 

野口: 希少疾患の場合、一般的な生活習慣病とは求められるデータの性質が大きく異なります。患者さん一人ひとりの診療経路を初期症状から時系列で追えること、複数の診療科をまたいだ受診行動を一気通貫で捉えられることが重要です。

我々のレセプトデータベースは「患者単位の縦断的な追跡」を可能にしている点に強みがあり、今回の希少疾患白書における診断ラグの定量化もその特性があったからこそ実現できたものだと考えています。

 

患者情報を医療現場に反映する ── Pep Upと希少疾患

北川: 講演の中で「PHRの連携」がIllnessを把握する上で重要だとのお話がありました。JMDCが提供する「Pep Up」は、健康保険組合などの保険者向けに提供しているPHRサービスで、加入者の健診結果や日々の歩数、バイタルデータなどの健康情報を一元管理し、「見える化」することで行動変容を促すプラットフォームです。

現在、260以上の保険者に導入され、ID発行数は740万人を超えています。大きな特徴として、レセプトデータと結びついている点が挙げられます。こうしたPep Upの仕組みを踏まえて、希少疾患の領域ではどのような活用が考えられるでしょうか。

 

濱村様: 以前はカルテのスクリーニングで希少疾患の可能性がある患者さんを見つけること自体が困難でしたが、今はそれができるようになってきました。ただ、特定できても、その情報を医療現場にスムーズに届ける仕組みはまだ十分ではありません。Pep Upはレセプトデータと結びついている点が強みです。

たとえば、レセプト上で希少疾患に関連する症状パターンが見られるにもかかわらず専門医を受診していない方に、受診を促すアラートを送ったり、医療現場にフィードバックしたりできる。日本ではこうした仕組みがこれまで十分に機能していなかったので、大きな可能性があると思います。

 

北川: 野口社長、Pep Upを希少疾患の文脈で活用していくにあたって、今後どのような発展が考えられるでしょうか。

 

野口: Pep Upは元々、生活習慣病の予防や健康増進を主な目的として設計してきましたが、レセプトデータと個人の健康情報が結びついているという構造は、希少疾患の領域でも大きな可能性を持っています。

たとえば、特定の初期症状パターンを示す方に対して、早期の専門医受診を促すアラートを出すといった活用が考えられます。濱村様がおっしゃった「打ち返す」仕組みとして機能させることは、我々にとっても新しい挑戦であり、やりがいのあるテーマです。

 

データを集めなくても分析できる世界へ

北川: 一方で、希少疾患は患者数が少ないため、データ分析の分母となる「N数」が少なく分析がしづらいという難しさもあると思います。この点について、野口社長はどうお考えでしょうか。

 

野口: データ量が一定程度カバーされていないと、そもそも希少疾患の患者さんが出現しないという大きな課題があります。しかし足元では、従来の健康保険組合様のデータに加え、自治体の保険者様からのデータもお預かりするようになり、現在では3,000万人を超える規模のデータベースが準備できるようになってきています。

さらに、秘密計算(データを暗号化したまま一切復号せずに統計処理や分析を行うことができる技術)の手法が広がり、AIを活用することで、直接連結できないデータベース同士を擬似的に繋ぐことも可能になりつつあります。個々の医療機関や研究機関がデータの中身を互いに開示することなく、暗号化された状態のまま共同で分析結果を得られるため、プライバシーを保護しながらデータの実質的な統合が実現できるのです。

今後は、レジストリデータ(特定の疾患について患者の臨床情報や治療経過、転帰などを体系的に収集・蓄積した疾患登録データベース)や製薬企業様がお持ちのデータとも一体的に活用できる世界が実現すれば、さらに多くのことが分かってくると期待しています。

 

濱村様: 私も先日AI技術者の面接をした際に、「これからはレジストリデータなど、点在する小さなコミュニティのデータをどんどん取り込んで繋いでいくことで、たくさんのソリューションが出せる」と熱く語られ、驚きました。

また、希少疾患の患者会でも世代交代が進み、データ共有に前向きな姿勢が広がってきています。テクノロジーの進化により、私たちが今感じている難しさとは別次元の解決策が出てくるのではないかと期待しています。

 

野口: 患者会の皆様がデータ共有に前向きになってきているという変化は、我々データを扱う側にとっても大きな追い風です。

テクノロジーの面では、秘密計算に加えて連合学習のような手法も進化しており、「データを一箇所に集めなくても分析できる」世界が現実味を帯びてきています。

患者会が持つレジストリ、製薬企業様の治験データ、我々のレセプトデータベース。これらを安全かつ柔軟に繋ぎ合わせるハブとしての役割を、JMDCとして果たしていきたいと考えています。

 

「診断ラグのない世界」に向けて ── JMDCに求められる役割

北川: 最後になりますが、製薬企業が自社内だけでは解決できない「データの壁」とは何でしょうか。それを踏まえ、パートナーとしてのJMDCに期待する役割や、共に創りたい未来についてお聞かせください。

 

濱村様: インターネットが普及して以降、「データを持っている人が一番強い社会」になってきていると感じています。

その意味で、JMDC様のようにデータを抽出するプラットフォームを持ち、運用できるパートナーがいるということは、私たちにとって「自分たちだけではできないことを可能にしてくれる存在」です。

今までと同じようなコラボレーションを続けるのではなく、「今までやれなかったことを、やれるようにする」という意味で、JMDC様に非常に大きく期待しています。これからも、ぜひお力添えをお願いしたいと思っております。

 

野口: JMDCは「データの会社」ですが、今日の濱村様のお話を通じて、そのデータの先に一人ひとりの患者さんの人生があるということを改めて実感しました。「今までやれなかったことを、やれるようにする」──このご期待に応えるべく、データの量・質の両面での拡充に加え、PHRや秘密計算といった新しい技術・仕組みも活用しながら、希少疾患の患者さんにとっての「診断ラグのない世界」の実現に取り組んでまいります。

 

北川: 我々が扱うデータが数字ではなく、その先にある患者さんの日常に直結しているということを、社員一人ひとりが胸に刻む機会となりました。濱村社長、本日はありがとうございました。

 

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本レポートは、JMDC全体会議 特別セッションの講演およびパネルディスカッションの内容を採録・再構成したものです。