社員インタビュー:JMDCの会長退任を迎えて

2002年にJMDCを創業し走り続けてきた木村真也は、2021年6月25日の株主総会をもって会長を退任しました。

これまでJMDCに関わってくれた皆様、これからご縁を持てる皆様にも今回の退任についてお伝え出来ればと思い、木村に筆を取ってもらいました。

( 本日ではありません。社員のお気に入りの写真)

f:id:jmdcinc:20210628171447j:plain


ーーーーーーーーーーーーーーーー 

振り返ると社会人になってからの20年間は営業やマーケティングなど、企業における役割をがむしゃらに走り抜けた会社時代(20代~30代)で、そのあとの20年間は起業した会社を成長させるJMDC時代(40代~50代)でした。

今からの20年間(60代~)は先頭に立って走るというよりは走っている人、走ろうとしている人を支援することにがむしゃらになる時代にしようと考えています。私にとっての退任はいわゆる仕事の引退ではなく、人生を「楽しむ」方法のフィールドを変えてみようとする変化です。あとでもう少しこの点についてお話します。

JMDC時代を振り返り

JMDCを創業したのは45才の時でしたが、30才の頃から妄想大好き人間になっていまして、「こんなことができたら素晴らしい、面白いんじゃないか・・」などいつも妄想していました。妄想していると、ふとしたきっかけで「あっ、これってこうすればできるやん!?」と気が付く瞬間があります。そうすると「妄想」は「構想」になり「行動」へと変わっていきました。会社時代にもこの「妄想~行動」のパターンで新しいマーケティング手法や新しいKPIを作ったりしていましたが、40才のころに(当時は製薬会社勤務)薬剤がどんな患者さんにどんな使われ方をしているか、その結果として効果や副作用がどうなっているかが実地医療として把握できれば、真の製薬活動につながり社会にValueを提供できると「妄想」していたことがある日、レセプトのデータベース化の可能性に気が付いたことで「構想」になり、JMDC起業という「行動」になっていったことを覚えています。

「データは多くなればなるほど勝手にしゃべり始める」と昔からよく言っていましたが、データは大量になると価値を生み始めます。当時、実現したかったひとつに、有識者の意見ではなく、データに基づくオープンな議論による意思決定社会があります。簡単にいえば、見える化ですね。

f:id:jmdcinc:20210628144223j:plain

印象に残った出来事

JMDC時代には印象に残る出来事が沢山ありました。それぞれの出来事は私にとっては意味のあるものなので順位付けはできませんが、敢えて3つ挙げてみます。

  1. 100%紙だったレセプトを初めて確保できたとき

    当時のレセプトは全て紙レセプトでした。それまで何も接点がなかった健康保険組合を訪問し、ひたすらにレセプトのデータベース化による意義を説明していました。健保組合の常務理事や事務長の皆さんに「保健事業にマーケティングを取り入れましょう」と熱く語っていた頃です。とはいえ、データベースもありませんし、健保業界での実績はゼロ、商品・サービスもまだゼロ、あるのは信念と熱意だけでした。

    そんな中で、某健保組合の常務が「JMDCの考え方はこれからの健保にとって必要になる。古いレセプトになるが、貸してあげるからデータベースを作りなさい」と仰っていただき、関西まで紙のレセプトが入った12箱の段ボールを取りに行ったことは今でも忘れません。これがJMDCのレセプトデータベース誕生に向けて始動した転換期でした。この時期は、なかなか実績が上がらないこともあり、ベンチャーキャピタル(VC)からの圧力が最高温度を迎えていたころなので時間的にもギリギリのマイルストン達成だったことも背景にはありました。

  2. 8年後の黒字

    創業当時は、レセプトデータベースは世の中に存在しなかった頃です。当時の事業計画(私の胸算用)では、自分自身が製薬会社でデータを率先して活用していたこともあり、10万人くらいのデータ規模でも一定レベルの利用はあると踏んでいました。実際には、実地医療が見えるデータへの興味はあるが、今まで存在しなかったデータを業務上でどのように使えばいいのかが分からない状態が続きました。データベース開発を始めてから気が付いたことに、新しいデータの使い方が広がるのは、「文化をつくる」に等しい労力と時間が掛かることでした。

    紙のレセプトの確保を増やすとデータ入力などの処理コストが跳ね上がります。しかしながらデータ期間×データ量が増えないと疫学的な使い方に限界があり、また薬剤単位で見た場合の出現N数に限界があり、製薬などのユーザー獲得にも弾みがつきません。

    当時は、健保組合でのデータ活用を広めることも「文化をつくる」ことで、製薬会社でデータ活用を広げることも「文化をつくる」ことに思えました。この文化づくりと合わせてコスト対収入のバランスをいかに取れるかが鍵でした。

    このバランスに四苦八苦している頃はまだ黒字化できていませんでした。黒字化できたのは創業から8年後の2010年でした。

  3. 大学教授が公の場で言ってくれたこと

    ある年の日本公衆衛生学会総会でのことです。某大学の著名な教授が「レセプトを使った研究活動がここまで急速に発展したのは木村さんのお陰です。」とスピーチの中で言われて驚きました。ズシンと心に響き、超嬉しかったことを覚えています。モチベーション上がりましたね。

    実際にアカデミアや産業界でのレセプト等データベースの活用は加速度的に増加しました。今では学会発表の件数は数え切れませんし、論文数も200を超えて毎年多くの研究成果が発表されています。

敢えて3つあげましたが、多くの出来事と思い出があります。多くの方と出会い、また本当に多くの方の支援をいただいてきました。この場をお借りして御礼申し上げます。

今後の挑戦

最初に少し触れましたが、私は挑戦のフィールドを変えて楽しもうと思っています。まだ「妄想」段階かもしれませんが、少しずつ「構想」になりつつあります。

私は「データ好き」の他に「釣り好き、海好き、山好き」です。それが高じて、海洋環境を良くしたいと思うようになり、それなら活動しようと考えるようになりました。

日本の周囲は海です。日本は70%が山林です。海と山は循環で繋がっています。私のこれからの活動名は「Sea Forest Circulation」と呼んでいます。現在準備中で具体的な活動はこれからですが、大いに楽しみたいと思います。

人生楽しんでなんぼのもんです。今までやってきた「仕事も遊びも全力投球」は今からも変わりません。

遊びって楽しいですよね。仕事も楽しむコツがあります。みんな、楽しもうじゃないですか!!

「妄想」して「構想」して「行動」もやり続けます。

どんなことでも最初は「ひとり」なんですから、周囲を気にせず果敢にやってみるつもりです。

これからのJMDC

これからのJMDCは可能性に溢れています。社会の構造を簡単に言えば、社会福祉費用(医療費や介護費)の益々の増加は喫緊の課題です。病気になりたくない、病気になっても悪化させないで自立した生活を送りたい、これらは多くの人の願いだと思います。解決策は様々な方法が可能性をもって検討・実験・実装されていくでしょう。その時に必要なものは、データとデータサイエンスとIT技術、それからマーケティング能力だと思います。JMDCにはこれらが備わり、また成長しています。JMDC文化である「妄想」を楽しむことが今以上に育まれていけば社会に有益な価値をどんどん提供していけると信じています。

 

またどこかでお会いしましょう。お会いしたときは「楽しんでますか?」を挨拶にしましょう。 

 

JMDC設立者・木村真也より

ーーーーーーーーーーーーーーーー 

 

出社が出来なかったメンバーはリモートで、出社出来たメンバーはしっかり感染対策して、退任式?門出式?は愛でいっぱいとなりました。

本日まで本当にありがとうございました!木村さんに負けず、JMDC一同、これからも楽しみますよーーーーーー!!

f:id:jmdcinc:20210629084752p:plain